その紙に触れた瞬間、どの旅の時に、どのように手に入れたものだったかが、鮮やかに蘇った。その旅は、ごく普通の出張で、何か大事件があったものではない。10年以上ファイルに収められていたそれを、取り出したわけではない。フォルダーに手を差し入れたときに、紙に触れた。それだけのことなのに、記憶が再生される。不思議なメカニズムだ。
年末は、大掃除の時期だ。とにかく、不要品を捨てることになる。昨年は、今まで分け入って来なかった「森」の奥から段ボール箱を発掘し、その中身の多くを処分した。ある段ボール箱の中には、レシートを収めたフォルダーがあった。10年以上前のものなので、もう保管の必要はない。そこで、どんどんシュレッダーに送っていた。先の紙に触れたのは、そんな時だ。
アイルランドの首都、ダブリンのあるホテルの明細書だった。ホテルの明細書としては、非常に上質の紙が使われていて、手触りが全く違う。といって、和紙のような感覚ではない。あくまでも西洋紙としての手触りを保ちつつも、独特の高級感なのだ。
この旅は、ユビキタス技術の学会に出席するため、初めてダブリンに行ったもの。滞在したホテルをチェックアウトする際に渡された明細がこの紙に記されていた。
2000年代前半、ユビキタス技術、特にウェアラブル関連技術は大きく進んだ。いま、スマートフォンには「身につけている間はロックをしない」といった状況判断能力があるが、このような状況判断('Context Awareness'と呼ばれる)技術は、この頃から研究がなされていた。当時の研究が実用化されるまでには随分時間がかかったが、成果が出ているのを見るのは嬉しいものだ。
当時、ダブリンは、金融業界が新たな拠点として注目しており、街は活況を呈していた。宿泊したホテルは、小さな運河沿いにあり素晴らしい景色だった(写真1)。毎日、運河を眺めながら徒歩で会場のホテルに通った。
【写真1】アイルランド・ダブリン市内のグランド運河。過去に撮影した中で最も気に入っている風景写真
実は、運河と気がついたのは、何回目かの通勤の後だった。それまで、小川だと思っていた所に、船が走っている。波を蹴立てて走るようなものではなく、欧州に多い細身の船が静かにやってくる。そして、水門のところで止まった。船は、二つの水門に囲まれた区画に入ったのだ(写真2)。
船から降りた人が、レバーを操作して後ろの水門を閉じる。それから、前の水門を操作して、今度は区画の水を抜く(写真3-5)。そして、前の水門を開いて船は出てゆく。そう、この運河は高低差があるのだ。
初めて見る水門を通り抜ける作業に、しばらく立ち止まって写真を撮った。今ほど、デジタルカメラの性能が高くない時代だが、5月の明るい陽射しの下、きれいな写真が撮れた。
水門と区画(専門的には、閘門(こうもん)と閘室(こうしつ)と呼ぶそうだ)を使い高低差を吸収するのは、パナマ運河と同じかも知れない。「へー、すごいものを見た」という感動があった。
【写真2】運河をやってきた船が、水門間の区画に泊まった
【写真3】船から降りた人がクランクを回して、水面高の調節を行う
【写真4】水面が下がり始め、もう一方の水路の水面高に近づいてゆく
【写真5】写真4から15秒後には、ここまで水面が下がった
感覚と記憶の関係は、長く論じられている。最近は、特に嗅覚と記憶の関係が話題になる。この分野の研究も進められている。脳や認知、認識といった高度な機能に関する分野もあれば、香りの基本に関する研究もある。筆者の周辺では、香りの分析(可視化)や香りの合成を試みる人達もいる。
確かに、「香り」により記憶が呼び覚まされることは、個人的な経験もある。香りは、記憶の鍵を開く大きな要素だろう。
今回は、香りではなく、触覚が鍵を開いた。しかも、頭の中にはその時の映像が駆け巡り、迷いがない。今回、明細書を見る前に、記憶が蘇っている。フォルダに手を入れて明細書に触れただけなのだ。そこに、この明細書があるとは予想していなかったが、思ってもみなかった事柄(アイルランド出張)の記憶が呼び起こされた。フォルダにはヒントになるような情報は無く、脳が「記憶のプリフェッチ(先に情報にアクセスすること)」を行ったとも思えない。記憶の鍵がどのように開くか、本当に不思議だ。
では、触覚はセンサで検知できるのだろうか。接触型のセンサを使えば、対象物の固さや柔らかさ、表面の質感も検出できるようだ。紙の質感を、記憶を呼び起こすほどの細かさでセンシングすることはできにかも知れないが、接触によりかなりの情報が取り出せるだろう。
昨冬、バンコックで開催されたCGとインタラクティブ技術の学会「SIGGRAPH ASIA2017」の新技術発表コーナー「Emerging Technologies」では、面白い研究が現れた。事実上の非接触で、目の前に出された物体が布なのか、タイルなのか、ガラスなのか判別するという(写真6)。
センシングのデバイスには、Googleが配布している小型のレーダーを用いているという。電波を発している部分は、箱の中に入っていて、センシングの対象物からはわずかに距離がある。それゆえに、「事実上の非接触」と書いたわけだ。
この展示では、レーダーからの反射波を人工知能(AI)が判別して、物体を特定している。色々なサンプルを与えて電波の反射を得て、その信号を機械学習に掛ける。学習を終えた人工知能から特徴をつかんで判別しているのであろう。
別れ際に、この学生さんは、彼の指導教官の名前を挙げて「知っているか?」と尋ねてきた。知っているも何も。古い知り合いだ。前出の「アイルランドで開かれたユビキタス技術の学会」は、彼が実行委員長を務めたものだ。「ずーっと前から、彼と学会をやったりしてきたよ」と話すと、おおいに驚かれてしまった。
視覚と聴覚は、センサも処理方式も充実している。その一方、触覚、嗅覚、味覚はまだまだ未開拓の領域といえるだろう。膨大な量のデータから学習により判別することは、現在の学習技術で可能だ。
数字により「何であるか」を割り出すことは重要だが、触覚、嗅覚、味覚は、それが感情や記憶を引き起こす働きも大きい。記憶といっても、年号や首都の場所を覚えるといった定型的なものではない。起きたことやストーリー、そして雰囲気といった非常にあいまいなものだ。触覚などの感覚は、これらを呼び起こすきっかけとなっていることは確かだ。感覚と記憶の関係が、コンピュータの処理に載せられるようになれば、「感覚ベースの検索」とでも言うべきAI時代の新しい検索の方法が見つかるかも知れない。
杉沼浩司(すぎぬま こうじ)
日本大学生産工学部 講師(非常勤)/映像新聞 論説委員
カリフォルニア大学アーバイン校Ph.D.(電気・計算機工学)
いくつかの起業の後、ソニー(株)にて研究開発を担当。現在は、旅する計算機屋として活動中。